クルマのお気楽使用で失ったもの
1.人の命1年に1万人
交通安全キャンペーンをしても、ドライバーにモラル向上を訴えても、1年に1万人の交通事故死亡者の数はへりません。日本には6500万台(オートバイ等も含めると8500万台)の自家用車がひしめいています。
交通事故死亡者の戦後累計は50万人にもなろうとしています。
2.子どもの遊び場
・車にいつもビクビクしていなければならないので、目いっぱい道草したり、ふざけあったりして通学する自由がなくなった。
・もちろん路地で遊ぶ事もやりにくくなったし、大人によって禁止される事もある。
・めいっぱい体を使って遊ぶ事がなくなったので、エネルギーやストレスのはけ口として、いじめ等に走る。
・虫や森や土や仲間同士の自由な遊びからもらえた勇気や、自然観察力、自主性が育たなくなった。
・子ども達の息抜き、居場所、自由の隠れ家たる広場や原っぱ、神社等がほとんどなくなった。
・はらっぱは駐車場に変わったものも多い。
・幼少時から車の危険を意識して、親が必要以上に子どもに干渉する。2〜5才児については、親が常に監視できないので、在宅での「外遊び」を制限する傾向がある。
・子どもに「車に気をつけなさい」という大人が車の快適さを享受している。雨の日、けなげに歩くのは子どもで、子どもに泥はねをかけて快適に車で通勤するのは大人である。
3.健康
・ぜんそく、呼吸器障害
排気ガス(窒素酸化物)、SPM、ばいじん等によるぜんそく、呼吸器障害は増加しています。
・花粉症アレルギー
花粉とディーゼル車の排気ガスの組み合わせで花粉症の原因となります。
・環境ホルモンやダイオキシンの増加
廃車毎年500万台から、100万トンもの廃棄物が出ます。
豊島の廃棄物問題はこの車の廃棄物が大半でした。
車の廃棄物(プラスチックダストや重金属、鉛、ヒ素その他)からは、環境ホルモンが長い間にとけだし、野焼きのプラスチックからはダイオキシンが排出されます。
・骨、筋肉の退化
何でも車で移動するので、足が弱ります。運動不足により、成人病にもかかりやすくなります。
4.楽しく歩いたり、サイクリングする権利
・今や、徒歩や自転車で家を一歩出たら、車を常に気にして、緊張して移動しなければなりません。交差点でも、歩道でも、車の出入りに気を使い、はねられないようにビクビクしていなければなりません。
・歩道を無料駐車場としている車があると、危険な車道まで出て歩かなければなりません。
・排気ガスも吸わなければなりません。特にディーゼル車の排気は臭いです。
・狭い歩道の横の一般道を猛スピード(100km位)ですり抜ける車、赤信号でもスピードを上げてつっこんでくる車に怒りを感じても、歩行者や自転車はなすすべがありません。あわやはねられそうになっても、何も仕返しの手段もありません。理不尽です。スピードメーターを車外に大きく表示したり、重大な交通ルール違反の車は撮影して、一般市民でも違反車を警察に突き出すシステムがほしいです。
5.景観の美しさ
・増えすぎた道路は、それだけで景観を悪くします。
・放置された野積みのタイヤは、良く見かける風景になり、殺伐としています。
・川、海、林に捨てれらたタイヤ、放置された車もだんだん多くなりました。
・RV車、4輪駆動車でどこまでも自然の中に入って行くので、自然が簡単にふみあらされ、意味もなく破壊されます。
・車の大量の産業廃棄物で、全国に産業廃棄物処分場が増え、また不法投棄も増えています。この全てが景観の美しさをどんどん損なっています。
6.優しい心をもつ人間の数
以下「脱クルマ21」3号、「クルマと階層社会」(西島栄)さんからの引用
−クルマの前をよろよろと歩き、すぐには道の端に寄れないお年寄りに対し、舌打ちをする人間、あるいは家畜を追い払うかのようにクラクションを鳴らす人間を、われわれの社会は大量に生み出してしまった。自分はきれいな空気と心地よい音楽と最高に居心地のよい空間を享受し、他人には排気ガスと騒音と泥を与えて平気な人間を大量に生み出してしまった。そして何よりも、年間1万人以上の死者を「たいしたことはない」と考える恐るべき人間を大量に生み出してしまった。−
7.静かな暮らし
道路が増えるに従い、道路騒音に悩まされる人は増えています。
エンジン音、タイヤのきしみ、風切り音などたくさんの種類の混じった独特の大音量の騒音は神経を逆なでします。
クルマを持つ人へ
クルマは「一度持ったらやめられない」と良く言われます。圧倒的なスピード感と自由自在に移動できる感覚が快感となって、脳にきざみこまれるからでしょう。また、クルマに乗り慣れているうちに、足腰や心肺機能が弱り、クルマなしでは暮らせない体になります。
クルマは「麻薬的」な性格があります。大多数の人間がその麻薬的なシステムに乗って快楽を享受している以上、それを制限してほしいといういうだけで、各所からヒステリックな猛反発をくらう事は目に見えています。
それが何となく感じられていたからこそ、今まで、クルマに違和感を感じていた人達も声を上げる事ができませんでした。
しかし、最近、勇気をもって少しづつ野放図なクルマの使用に制限をかけてほしいと声をあげる人たちが出てきました。クルマの弊害が増加し、またよく解明されてきたからだと思われます。
近距離の買い物や、ドライブ、行楽、旅行(ドライブや行楽時は事故率も高い)のためだけであれば、クルマに乗る事に対して、ある程度制限する必要があると思います。そのくらい、クルマは環境や社会に多大な負担をかけています。
「そんなことは個人の自由」と目をそらさないで、クルマの産業廃棄物の山が自宅の近所にできた場合を想像して下さい。(実際、処分場は住宅地の近くにできるケースが最近増えています。)自分の家族が交通事故の被害に運悪く遭遇してしまった場合を考えて下さい。排気ガスを吸いながら、通学する子どもの事を考えて下さい。
どうか、クルマを使用する機会をできるだけ減らし、自転車、徒歩、公共交通機関を使用してみて下さい。それらにも、それなりの長所があるのに気づくと思います。
<徒歩の長所>
最も体がきたえられます。最もコミュニケーション機能が強いです。最も環境や社会に与える負荷が低いです。風景や街のようすも細部までしっかりとらえる事ができます。
<自転車の長所>
徒歩の2〜4倍の速度で移動でき、10〜20kgの重さの荷物を持って移動しても、あまり苦痛に感じません。これだけ利点があるのに加えて、使用時に化石燃料がいらないという、素晴らしい長所があります。
ていねいに扱えば何年でも持ちますし、寿命が来て廃棄する時も、ゴミの量がクルマと比べ物にならない程少なく、また処理困難なゴミの量も少ないといえます。
身軽ですから、人とのコミュニケーション機能もあります。駐輪に必要なスペースも、クルマに比べて少ないので、なにかと便利です。
<公共交通機関の長所>
鉄道は、クルマに比べ同じものを運ぶのに7分の1くらいのエネルギーですみます。渋滞による時間の遅延を気にしないですみます。事故にあう確立はクルマよりはるかに少ないです。
電車の中では、もの思いにふけったり、本を読んだり、居眠りしたりできます。クルマの運転は、常に周囲の状況を注意し、不測の事態に備えるという不断の緊張を強いられますが、公共交通機関にお客として乗る場合は、その責任はありません。楽です。
地方の鉄道などでは、コミュニケーション機能もあります。