大麻中央公園散歩と自然観察(春)
金井 博子 1997年5月5日(月曜日)午前11時〜午後16時
大麻中央公園の2番通りの駐車場の側から散策コースに入りました。一歩公園内に入ると木がしげり、鳥の声が良く聞こえてなかなか良い気分です。
木の階段や木道ができて、池の水辺にもたやすく立てるし、以前と比べて随分歩きやすくなりました。ただ、そのせいで木が切られ(新しい切り株がたくさんありました)、踏みつけにされた草花もあった(草花や木の生えていず、車のわだちや自転車で踏み荒らした跡が広くありました)と思われます。人間の便利さは、いつも他の生き物の犠牲や自然を破壊する事とひきかえだということを思いました。
林から、池の観察場所までおりてゆきました。お世辞にもきれいとはいえない池の水も、春の風に金色の光を乱反射させてやわらかです。水辺には、人の心を平らかにする作用があるような気がします。子どもに、風が吹くとできる水面のさざ波模様を教えました。自然につつまれて時の推移をゆっくりと味わうような、釣り人もいました。
また木の階段を上がったところで、ニリンソウとオオタチツボスミレの花を見つけました。マイヅルソウと思われる草も見つけました。これらの植物はエンレイソウ(写真はミヤマエンレイソウ)やオオウバユリと共に、大麻の中でも自然が比較的豊かに残された地域に生えています。他にもいろいろな植物があったのですが、図鑑を見てもわからないものが多く困りました。まだ花の季節でないので、初心者には条件が厳しいようです。
また少し歩くと、野鳥観察用の建物が岸辺に見えたので、おりてゆきました。木の茂みにたくさん鳥が鳴き交わしているようですが、双眼鏡を向けてもなかなか見つけられません。岸辺をふとみると、泥にまみれたスクーターが捨てられていました。
自然の中に放置された人工物(空き缶や廃車などいろいろ)を見るといつも強烈な違和感を感じます。人工物は落ち葉や糞と違い、いつまでも自然の力では朽ちません。「科学技術」で自然の循環サイクルからはみ出した人工物を作りながら、作りっぱなしで、元の原料に分解したり、再利用する事にはあまり熱心でない、人間の傲岸さとだらしなさが、裸でころがっているようで、放置された人工物を見ると痛々しいというか、いたたまれない気がします。(このスクーターは公園課にお話したら、その後撤去して頂けたようです。)
ゆっくり歩いていたのでもうお昼の時間です。児童公園の3分咲のエゾ山桜の下でお弁当としました。この日は風が強く、2番通りを歩いていたときも目に入る砂ぼこりに閉口していたほどでしたが、公園内は木が多いせいか、風がかなり弱く、青空とエゾヤマザクラの濃い桜色を眺めながらゆっくりお弁当を広げる事ができました。風の強い江別での、「木の恵み」のようなものを感じました。近くの住宅街の女性ものんびりと洗車しているのが見えました。
お弁当が終わったら、今度は木道に通じる木の階段をおりてゆく事にしました。木の階段の横は、コンクリート製の排水菅でした。少し泡立った水がちょろちょろ流れています。洗車の水かなと思いました。水が下まで届いた場所によどみがあり軽い汚臭がありました。この水が池につながっているのを確かめようと、地面のかわいている場所をえらびながら、池の岸辺まで出て見ました。水は池までつながっておりました。大麻中央公園には、住宅街から何本もの排水菅がおりてきています。池の水の汚れとこれは無縁ではないだろうなと思いました。
しかしながら少し驚いたことには、岸辺の落ち葉に大きなタニシの貝殻が散見されたことと、川エビの死骸がありました。きれいな水ではないですが、それにも負けず生きようとする生命のたくましさを感じました。そうしてみると、先ほどの釣り人は本当に何か釣っていたのかもしれません。この池にも何か魚が居るんでしょうか。
また木道に戻りました。木道のまわりにもたくさんの植物がありました。オオウバユリに似た植物もありましたが、名前がわかりません。柳の倒木からまた若い木がたくさん芽吹いているのも見つけました。またこのあたりで、ニリンソウやオオタチツボスミレを見かけました。春の喜びをたくさん見つけられる日です。
そこから大麻駅側の道に向かう階段を上がり、すぐにまた林内に入りました。1〜2日前の大風のせいか、林内には新しい倒木が多くありました。何本ものグイマツに似た木の根元の近くがささくれだったように折れていました。これらの倒木も自然のうちにどんな変化をするのでしょうか。この夏・秋・来年の変化が楽しみです。こちらは池の対岸と少し雰囲気が違い、林内が少し暗くてシダ類が多く見られる他、林内が車などで荒らされておらずほっとしました。また、歩道に面した明るい草地にはネコノメソウも見つけました。
2番通り近くまで戻ってベンチを見つけ、休んで水筒のコーヒーを飲んでいたら、カモがいる!との主人の声。さっそく家族じゅうで双眼鏡を回して観察しました。どうやらマガモのつがいのようです。毛づくろいしたり、池の水面をつついてなにか食べているかのようすも見えます。ほどなくセキレイも岸辺にやってきました。両方を観察しているうち、カルガモのつがいもどこからか飛んで池におりてきました。何だか豊かな気持ちになってしばらく見とれていました。
さて、2番通りから、今までと反対側へおりてみました。ゴルフ場を思わせる単調な張り芝がいま一歩だなあと思いました。またゴミの量が全般に多く、小川沿いにたくさんありました。あとで公園課の方に電話で問い合わせたら、5月の始めに清掃が入ったばかりだそうで、清掃する力を上回る勢いでゴミを捨てる人がいるのか、風で吹き寄せられたにしては大型で重いゴミも結構あって、なんだか悲しい気分になりました。自然が比較的残っているだけに対照的なゴミの存在は残念でなりません。
ゴミ拾いピクニックでも企画しようかなとも思いました。個人で拾うには量が多すぎるし、何だか空しいものがあります。大人数でおしゃべりしながら、自然観察しながら、ゴミを拾うのはそんなに苦痛ではないような気がします。あと、学校活動にゴミ拾い・自然観察遠足などをとりいれてほしいなとも思いました。
こちらの奥の池はどうなっているのかなと、地面の固い所を選んで池のほとりまで出てみました。驚いたことに、4階建ての団地の方から、直径1メートル以上、全長30メートルはあろうかという丸い巨大排水菅が地上を池におりていました。これは何を池に注ぎ込む管なんでしょう? ただ雨水を池に流すだけなら、こんなおおげさなものはいらないと思います。公園の景観をそこねて、異様な雰囲気を醸し出していました。少し荒れた雰囲気にがっくりして、自然観察もそこそこに引き上げてきました。
大麻中央公園の、まだ残されている自然の良さと、人間の手に痛めつけられて弱っている面と両方見た気がしました。
いろいろな排水の流入をやめるよう規制したり、道路を透水性舗装に変えて雨水を地中に自然にしみこませて、土にろ過されたきれいなわき水の自然増加を促したり、池のほとりに水をきれいにしてくれる水辺の草の茂みを作ったり、張った芝(平板・単調で貧しい自然)をやめて元の多様性に富んだ植生に戻したり、ゴミを拾ったり、車の公園内への侵入を防ぐため住宅側に木を植えたり、時間をかけながら回復できるものも結構あるのではないかと思います。もともとは高台の土地から染み出るわき水の沢なのですから、この沢と池の水はきれいだったはずです。清流・美しい池といわれるような環境にできるかもしれません。
そうした公園の自然回復は、機械力に頼る業者にまかせるのでなく、自然回復に意識のある市民のボランティアと、その活動を実際面でサポートする行政の連携で初めて実のあるものになると思います。市民が手作りで自然回復できる公園があったら良いでしょうね。自然回復の方向で自ら手を加えれば、愛着もわくでしょう。
例えば、この公園にもよく見ると、可愛い花や花の群落がたくさんあります。それらを踏みつけたり取ったりするのでなく、種を少し採取して育ててふやしてまた公園の荒らされた土地などに植え戻したり、車が侵入できないように背丈の低い木を植える事などは何となくできそうです。
せめて、これ以上大麻中央公園の自然を壊さないでほしいと願わずにはいられません。公園内緑地につけられた車のわだち跡のすぐそばに花の弱々しい群落があって、心痛むものがあります。(わだち跡のほんの数十メートル向こうにはアスファルト張りの駐車場があって、ほとんどガラガラなので、何のためにここに駐車する必要があるのか理解に苦しみます。)
5月28日に、また大麻中央公園にゆき、季節に応じて新しく咲いた花を見つけました。青紫色のワスレナグサは群落になっており、白いクルマバソウの群落は満開で、マイヅルソウの群落の花もさき初めて、きれいでした。また、ムラサキケマンや、ツボスミレと思われる花も見られました。これから、四季おりおりの花の変化が楽しみです。身近な自然もその気になって見ることでしっかり楽しめるのですね。思った以上に変化や自然の造形の美しさがあります。
遠くの山の自然保護も大事ですが、足元の自然を良くみつめ、私たちの地元にも、もともと昔からあった素晴らしい自然を、私たちの生活とうまく調和させながら取り戻すことができないかと、最近思います。豊かで美しい自然を守り育てている事は、その地域住民の誇りでもあり、心の豊かさの象徴だと思います。